松戸史跡マップ研究会

        入会案内  一緒に歴史や民俗を楽しみませんか

 平成13年に公民館講座に参加した仲間が講座終了後に当会を立ち上げ活動を始めた団体です。
現在、私達の会では毎月1回の例会の他に次のような企画を立て歴史や民俗に興味を持つ
仲間同士の親睦を図っています。

① 月に1~2回 近郊市域の史跡見学会(通称:近郊散策会)を実施し、新しい知識を得て見聞を
  広めています。

② 松戸市内の史跡・遺跡等の文化財調査を行っています。

③ 年1回「市民講座・史跡巡り」を実施し、私達の活動成果を知っていただくと共に、
市民の皆様に松戸の歴史・史跡紹介を行なっています。

④ 会費 入会金 0円  会費・月 250円(年3000円)

⑤ 会員数  20名 

以上のような活動を行なっていますので、興味を持たれ、仲間に加わって一緒に楽しみたいと思われる
方は下記にご連絡ください。

  連絡先  TEL 047-387-3902 溝渕 碩治(ミゾブチ セキハル)

2016年12月06日

「古代東海道を歩く:⑱下総国府~上総国府④:京成検見川駅~JR西千葉駅」

午前中は若干の汗をかくほどであったが、午後になると強い北風が吹く気候の下、恒例の古代東海道歩きを京成検見川駅から会員10名で行った。
① 俳人・遠近庵三市の三回忌に妻たちが建てた追悼碑(市地域文化財)のある宝蔵院を出発し、検見川神社に向かった。
② 検見川神社は森羅万象すべての災難を取り除く八方除にご利益があるとして地域住民の信仰を集めてきた大きな神社である。
③ 近くには、門前に文政四年(1821)の「札所六阿弥陀第一番」の標石がある善勝寺があったが、ここには特徴のある三基の庚申塔が並んでいた。三面にそれぞれ三猿と「二世安樂」の願文が彫られている延宝五年(1677)のもの、右手にヘビ・左手にドクロを持った宝暦九年(1759)の六手青面金剛像、日本最古の庚申塔から1160年経過した安政七年(1860)に建てられたということが彫られている文字庚申塔である。
④ 善勝寺を後にした路傍に百観音と四国八十八ケ所の巡拝を成就したことを記した大正三年の碑があった。個人で188ヶ所の札所を廻りきったことには驚きを禁じ得ない。
⑤ 広徳院、三峰神社、道祖神、古峯神社を経た後に着いたのはもう一つの三峰神社である。ここの長い石段を下りると古代東海道とみられる房総往還が通っている。
⑥ ここから稲毛区までの1.5kmの間の、検見川5丁目の房総往還の両側には「二間半間口の家」が並んでいた。明治末期に人口が急増した際に三軒間口の土地に二間半の家を建てて対応したことによるという。
⑦ 稲毛区に入ってはじめてお目にかかったのが、民家の脇・三叉路にある石塔であった。文字は剥落して判読できなかったが、通り掛かったお婆さんに尋ねると道祖神であることが判明できた。詳しくお聞きすると、この辺りでは未だに道祖神信仰があり、草履やお花を供えているということであった。
⑧ 治承四年(1180)に源頼朝が参詣したという広大な社地を持つ稲毛浅間神社に到着した。ここは立派な社殿は勿論だが、境内と周辺地に広がる市文化財の松林は一見の価値があり、その中で昼食をとった。
⑨ ここから先はまた見どころの少ない地域であり、京成稲毛駅やJR稲毛駅を過ぎた先にあるのは「開拓の町小仲台の碑」である。碑文によると、戦後、陸軍防空学校や高射砲学校などの跡地に引揚者や戦災者を入植させ、街を拓いた旨記述されており、史跡がほとんどないことに納得した。
⑩ 園生(そんのう)交叉点の傍には昭和12年の「日支事変従軍軍馬慰霊碑」をはじめとした馬頭観音が並んでいる。
⑪ 近くにある穴川神社にある「道祖神社」は、「千葉三道祖神」の一つだというが社の中にはそれらしきものは見当たらなかった。
⑫ 作草部交番の前には享保元年(1716)の道標があった。この道標は、別名「縄縛り塔」とも呼ばれ、風邪をひくと塔を縄で縛って祈願し、治ると縄を解いてお礼をするという信仰が残っているという。
⑬ 作草部駅の十字路を渡った角地に道標を兼ねた宝永二年(1705)の見栄えの良い青面金剛像があった。
⑭ 予定を変更して、千葉経済大学の校内にある県指定文化財の「旧鉄道聯隊材料廠煉瓦建築」を見学する。千葉県内に少ない明治年間創建の大規模煉瓦建築だということで、内部の東西方向に二列に連なった十連のアーチ構造は、全国的にも類例がないとのことである。快く案内していただいた女性職員にはお礼を申し上げます。
⑮ 松戸・萬満寺が前身だという大日寺は、当会として3度目の訪問である。境内には大小16基の五輪塔が並んでいるが千葉常兼から16代にかけての墓碑だといい、どの石塔にも銘文は刻まれていないものの鎌倉から室町時代のものだという。
⑯ 最後に訪ねたのは来迎寺である。ここにも五輪塔が7基あり、千葉氏胤など7人の銘文が刻まれている。
解散した後、JR西千葉駅から帰宅の途に就いた。
                         (写真は、旧鉄道聯隊材料廠煉瓦棟)
                                                              以上(Y.I記)