牧馬会

「牧馬会(まきうまかい)」は平成24年度ふるさと発見創造講座の受講生が結成した会です。
周辺の市町村に比べ特に都市化の進んでいる松戸に、むかし牧場があって多数の馬(野馬)が放牧されていたことを知り、その牧はどういうもので、なんのために野馬が放牧されていたのか、そしてその野馬はどこへ消えたのか、という疑問からスタートしました。
会の仲間はただ歴史が好きな人、現地案内の得意な人、聞き取りが上手な人、交渉ことがうまい人、そして馬(競馬?)に詳しい人などなど。

2018年11月28日

松戸の牧と馬の物語パートⅥ 3回目

研究発表  「幸谷村の農民の生活」    牧馬会会員
        「明治時代の牧の開墾」    牧馬会会員
 幸谷村の農民の生活
  現在の松戸市新松戸地区の一部
  1) 百姓への税
      年 貢   田畑、屋敷
      小物成  年貢以外の雑税(商工業、山野・河川からの収益)
      国 役   治水工事等、(上総国・下総国等)
      助郷役  宿場町への労役(人夫、馬匹を徴発した課役
  2) 小金宿への助郷
      宿場には大名などの公用通行を支える為、人馬を常置しておく事が定められていた。
      幸谷村には2町離れた水戸街道小金宿への助郷人馬の提供が義務付けられていた。
      一年間 村高100石当たり馬100~150頭、人夫90人~140人前後 

      江戸時代後半、代行を請け負う者が現れる。
  3) 牧の管理
      幸谷村は中野牧の北側、牧から近い所にあったので、毎年村高100石には人足100人余り出した。
       ・野馬除け土手の維持、修復
       ・野馬捕りの時の野馬追勢子として
  4) 御鹿狩り
      事前に放牧中の馬を囲いの中に追い込んだり、鹿、猪など」の獲物を予め狩猟場内に追い立てる人足として動員、当日も同様。
      12代徳川家慶の時(1849年 4回目)は賦課された人馬の多くを金を払って雇う形で差し出している。
      巨額の支出(銭91貫631文)  村人自身も人足として16人動員
  5) 鷹狩
      幸谷村を含む小金領200ケ村程が水戸藩の鷹場
      農民は武士達の荷物を運んだり、獲物の追い立て役として使役された。
      村々は石高100石に付、年100人余りの人足、銭5貫程の経費の負担。
      水戸藩からの規制 ・鳥を殺したり、追い立ての禁止
                   ・8/1~3月末日まで川、沼を掘る事、魚を取る事の禁止
                   ・家屋の新築、修復、道、橋の普請の際届出の義務
      文政3年(1820)水戸藩の倹約面から実質的に休場となる。
 明治時代の牧の開墾
   戊辰戦争(1867)により幕府崩壊。御家人の失業、窮民の発生、治安対策のため東京窮民対策で開墾が進められ
   野馬は最北の高田台牧に集められ順次売却された。
            「下総牧開墾事業の歴史」
   慶応4年(1867) 1月 戊辰戦争(幕府崩壊)→貧困者発生
   明治2年(1869) 3月 東京府開墾府局を設置←貧困者対策と殖産事業     新政府から20万両の出資
              5月 開墾会社創立←民間資金の導入                 三井八郎右衛門他135人の豪商
             10月 移住志願者公募・移住開始(五香・六実11月開始)        加太八兵衛、大村五左衛門            
                   下総牧 1,769戸  五香・六実 268戸                 湯浅七兵衛門
   明治3年(1870) 8月 台風被害(3年9月、4年7月にも)
      4年      8月 会社臨時入費などを政府に要求
      5年      5月 政府会社の要求に対し最終結論・開墾会社解散
      6年      12月  近隣移住民開墾地要求
          (8年 10月 三井主張を認める)
      9年      3月 地券交付(小作側その後も告訴を継続)
      11年       6月 千葉県・民有地買上  東京窮民・近隣移住民に払下
                                                        おつかれさまでした  d■■