牧馬会

「牧馬会(まきうまかい)」は平成24年度ふるさと発見創造講座の受講生が結成した会です。
周辺の市町村に比べ特に都市化の進んでいる松戸に、むかし牧場があって多数の馬(野馬)が放牧されていたことを知り、その牧はどういうもので、なんのために野馬が放牧されていたのか、そしてその野馬はどこへ消えたのか、という疑問からスタートしました。
会の仲間はただ歴史が好きな人、現地案内の得意な人、聞き取りが上手な人、交渉ことがうまい人、そして馬(競馬?)に詳しい人などなど。

2018年12月12日

流山市立博物館

流山市立博物館
 「小金牧 絵図・古文書・発掘調査から見た牧と村
  江戸時代、現在の千葉県北西部の下総台地上には、江戸幕府による軍馬育成のため、馬の牧場が
  設置されていました。小金牧は流山市から千葉市まで広がっており、その中で上野牧・高田台牧(流山・柏)、
  中野牧(柏・松戸・鎌ヶ谷・白井・船橋)、下野牧(鎌ヶ谷・船橋・八千代・千葉・習志野)、印西牧(印西・白井)の
  5牧に分かれていました。
  牧には、馬が放牧されただけでなく、他の野生動物(イノシシ・鹿など)がいました。
  馬や野生動物が村や畑に入り込むので、牧と村の境には「野馬土手」が築かれました。
  牧は野馬奉行などが統轄し、周辺の村々からは有力な農民が「牧士」として実質的な牧の管理を行い、
  さらに周辺の村々は、野馬捕り野馬土手木戸御林の管理など様々な役割を担っていました。
 野馬土手と土手普請
  野馬土手は幕府が費用を負担した御普請土手と、村が費用を負担した自普請土手に分類されます。
  また、捕込や野馬捕りを効率的に行うための勢子土手も野馬土手として位置づけられていました。
  土手は土で作られていたために、しばしば風雨等によって堀が埋まったり、崩れたりしたため
  周辺の村々は堀や土手の修復(土手普請)に駆り出されました。また、村を守るための新たな土手(自普請土手)を
  作っていた事が、古文書の記録に残されています。
  たくさんの土手が残っていましたが、現在土手の大半は開発によって失われてしまいました。