牧馬会

「牧馬会(まきうまかい)」は平成24年度ふるさと発見創造講座の受講生が結成した会です。
周辺の市町村に比べ特に都市化の進んでいる松戸に、むかし牧場があって多数の馬(野馬)が放牧されていたことを知り、その牧はどういうもので、なんのために野馬が放牧されていたのか、そしてその野馬はどこへ消えたのか、という疑問からスタートしました。
会の仲間はただ歴史が好きな人、現地案内の得意な人、聞き取りが上手な人、交渉ことがうまい人、そして馬(競馬?)に詳しい人などなど。

2017年11月15日

松戸の牧と馬の物語 パートⅤ 1(全3回) 

  
   講演会 「小金牧と野馬の歴史」            講師 山本鉱太郎 (旅行作家、劇作家)     文化ホール講座室
 
去年に引き続き2回目の講演会をお願いしました。 沢山の参加者をお迎えできまして、当事者一同大きな喜びでした。
誠にありがとうございました! 牧馬会の認知度も上がりつつある事を大いに期待しています。

広大な原野であった東葛飾地方は すでに 十世紀の頃から官牧地として利用されていたようです。
天正10年(1590年)、徳川家康が江戸に入府してから、野馬の放牧場として下総牧を重視し、
慶長17年(1612年)頃、小金町の綿貫十右衛門に世襲で下総牧の管理をまかせた。
その仕事は月6回牧場を巡視し、野犬と狼から守り、食料や水を確保し、ダニのついた枯草を焼き野馬土手を修復し、
      (野馬が農家の作物を荒らしたり、逃げないように、また猪や狼などの野獣から守るための堤で囲いをした)
野馬の保護と増殖をはかり、筑波おろしなどを避難場所を作って寒さから守ってやる。       
ひとたび事あるときはそこから軍馬を徴発する。 
この地に強大な勢力を持った平将門の戦力になったのも、下総牧の野馬であったということです。

徳川幕府が崩壊して明治維新を迎え、西欧から文明開化の波がどっと押し寄せてきて、馬力に代わってさまざまな動力が
登場して、幕府の野馬政策も終焉を迎える。
明治政府は馬の育成には力を貸さず、僅かに軍馬の道だけが残されました。