地図を片手にぶらり旅

平成25年2月の松戸市公民館成人講座で『地形図から地域の歴史を学ぶ』(藤澤進三先生)を受講、感銘を受けた講座受講者5名が発起人になり当会を立ち上げました。

目的は地図を片手に散策しながら地形・地理など自然環境を学び、地域の歴史や文化を楽しく学ぶ会です。
25年度は10月に「地図に学ぶ地域の歴史」(藤澤進三)として4回開催しました。

座学で予習、松戸のなま街道と内神田・日本橋北を現地踏査、最終はまとめで『水路を利用した江戸の町づくり』を学びました。

今後会員を増強、回数を増やし、参加者と共に学び、市民自主企画講座を開催し『学べる松戸』の魅力作りを進めたいと思っています。

☆メンバー募集中:歴史・地図に興味をお持ちの方は、是非ご一緒に活動しましょう。

2016年11月03日

「地図を片手にぶらり旅」の会 主催  「地図に学ぶ地域の歴史(Ⅵ)」 活動報告

活動内容
第1回 10月14日(金)・・文化ホール・座学   :流水が変えてきた地形と歴史 34名
第2回 10月21日(金)・・現地・台地から低地へ:四ツ谷から市ヶ谷へ       36名
第3回 10月28日(金)・・現地・  〃       :八柱から馬橋へ         34名

講 師     藤澤進三先生

1回目 10月14日(金) 「流水が変えてきた地形と歴史」・・文化ホール4階 講座室
 東京の台地も松戸の台地も約10万年前ごろに形成され、現在まで長期に浸食作用を受けてきたために、台地の奥深く複雑に矢頭が入り込む地形となっています。今回は、東京は四ツ谷から市ヶ谷へ、そして松戸は八柱から馬橋に至る台地と低地を巡ります。座学では、その地形の成り立ちと特徴について学びました。また、江戸時代では、大名屋敷、武家屋敷、お寺、町家などが地形に応じて使い分けられていたなど、興味深いお話もありました。

2回目 10月21日(金) 四ツ谷から市ヶ谷へ
 四ツ谷駅を出ると目の前に立派な石垣があります。四谷見附門跡です。ここより江戸城の外堀跡を観察することが出来ます。台地伝いに武家屋敷跡を少し歩くと、西念寺にでます。ここには、服部半蔵の墓と家康の長男信康の慰霊塔があります。ここより低地に向かって歩きます。鮫河橋坂です。その先が今は迎賓館となっている紀州藩上屋敷で、鮫川の水が屋敷内へ流れ込むようになっています。そこで、水量を調整するための堰を作りました。そこには、堰を守るための祠が作られ、それが咳止め稲荷として残っています。
台地上への急坂道「出羽坂」を上る。この辺りは旗本等の屋敷跡で、明治になって、旧松江藩松平出羽守が居を構えたことに由来します。闇坂を上り戒行寺坂を下りると旧赤坂川の谷に至ります。台地の奥に入り組んだ谷頭です。今は若葉公園となっています。再び急な坂を上り台地に出るとそこには須賀神社があります。四谷18ヶ町の総鎮守で、三十六歌仙図絵がご本殿に掲げられています。男坂から見降ろした町の景色は絶景で、たくさんの若者が写真を撮っています。そう、ここはアニメ「君の名は。」の1シーンだったのです。
圓通寺坂を越えて荒木町にはいります。松平摂津守の上屋敷があって、邸内に旧紅葉川支流を堤で堰き止めた池があって、池の周りに茶屋や芝居小屋が集まり、その後花街として発展、現在は神楽坂に似た細い路地が連なっています。その池の一部は「策(むち)の池」として残っており、津の守弁天が祀られています。靖国通りを市ヶ谷駅方面に下りていくと、左手に防衛省がみえます。徳川尾張藩の屋敷跡です。左に曲り市ヶ谷亀岡八幡宮の階段を上ります。天明年間に太田道灌が鎌倉鶴岡八幡宮を勧請したのが始まりとされています。鶴に対して亀だそうです。階段を下りて、市ヶ谷駅にて解散。
  江戸切絵図にみる大名屋敷の移り変わりを分かり易く解説して頂きました。

3回目 10月28日(金) 八柱から馬橋へ
 新京成は旧陸軍の鉄道連隊演習線の跡地を活用したこともあって、その沿線には旧陸軍境界標識が残されています。八柱駅踏切脇にも見ることが出来ます。ここより、江戸時代野馬奉行のいた金ケ作陣屋跡を通り八坂神社に向かいます。京都の八坂神社の末社で、安政、安永年間の十九夜塔や青面金剛碑などがあります。八坂神社の前の道は、常陸国府石岡に続く古くからの道で、尾根筋を通る道となります。千駄堀へは急激な下り坂となります。長津川の谷頭の底にあたるところに千駄堀湧水公園があります。以前は湧水も豊富であったと思われます。湧き出た水は長津川に合流し、上本郷から馬橋方面に流れます。六中の裏山の人の通らない道を上って台地に出ます。六中は窪地に存在し、横のテニスコートは雨水貯留地となっています。隣の運動公園には国際経緯度基準点の標識があります。松戸高校に向かう坂を上ると、中和倉の台地に出ます。ここは舌状台地の西の端で北は前田川、南は長津川流域に挟まれた低湿地帯で絶好の稲作地でした。古墳時代初期、千駄堀の稲作住民の住居跡「内畑遺跡」があります。ここより右にカーブする急な坂{馬坂}を下りる。途中に熊野神社があります。中和倉村の鎮守で元禄年間の創建と伝えられています。長津川は今は暗渠となっていますが、台地の下の道を行くと長津川にかかっていた新橋の碑がありました。6号線を渡り万満寺に通じる道を左に折れると馬橋駅です。12時半に解散となりました。

藤澤先生の説明は、非常に丁寧で参加者に好評でした。

    (写真は四谷須賀神社からの景色)