地図を片手にぶらり旅

平成25年2月の松戸市公民館成人講座で『地形図から地域の歴史を学ぶ』(藤澤進三先生)を受講、感銘を受けた講座受講者5名が発起人になり当会を立ち上げました。

目的は地図を片手に散策しながら地形・地理など自然環境を学び、地域の歴史や文化を楽しく学ぶ会です。
25年度は10月に「地図に学ぶ地域の歴史」(藤澤進三)として4回開催しました。

座学で予習、松戸のなま街道と内神田・日本橋北を現地踏査、最終はまとめで『水路を利用した江戸の町づくり』を学びました。

今後会員を増強、回数を増やし、参加者と共に学び、市民自主企画講座を開催し『学べる松戸』の魅力作りを進めたいと思っています。

☆メンバー募集中:歴史・地図に興味をお持ちの方は、是非ご一緒に活動しましょう。

2016年07月15日

「地図を片手にぶらり旅」の会 主催  「旧東海道 品川宿を歩く」 活動報告

活動内容
2016年7月8日(金) 大森貝塚から旧東海道を通って品川宿を歩く  参加24名

JR大森駅を定刻9:30に出発。ほどなく大田区NTT大森山王ビルの裏手にある「大森貝墟」に着く。東海道線沿いにあり、
モース博士が車窓より発見した。今は崖が削られてビルになっており往時の面影はない。ここより300mほど離れた品川区に
大森貝塚公園がある。ここは、モースが政府の許可を得て発掘調査を行った場所で、縄文時代後期の遺跡であることが分かっ
た。池上通りを更に北上すると鹿島神社に出る。常陸の国の鹿島神宮をご分霊し、大井村の総鎮守として親しまれている。
本殿の右手には精巧な彫刻が施された旧本殿も現存する。続いて、少し行ったところにある品川歴史館を見学する。原始・
古代から近現代までの品川区の歴史を説明している。特に、品川宿の様子を示したジオラマはわかりやすくてとても面白い。
歴史館より東に行くと第一京浜に行き着く。これより、南に少し下ると鈴ヶ森刑場跡につく。火炙り、磔などの跡がある。
江戸時代は、住む人もいない寂しい場所であったが、今は道路(第一京浜)の車の騒音が激しく、恐ろしい場所とは程遠い。
これより、旧東海道に入る。立会川の浜川橋に出る。鈴ヶ森の刑場に護送される罪人の親族が、この橋で涙の別れをしたと
いうことでなみだ橋といわれた。立会川を河口まで下ると運河脇に浜川砲台があった。土佐藩が築いたもので、坂本龍馬も
警備に当たった。今はきれいに整備されていて何も残っていない。近くに、大砲のレプリカを置いた公園がある。立会川駅
前には坂本龍馬のゆかりの地として、ブロンズ像が立っている。この辺りには土佐藩の下屋敷があり、また、土佐山と呼ば
れた土佐藩の屋敷もあって、土佐藩ゆかりのものが続く。この土佐山には山内容堂はじめ13代豊煕の正室、16代豊範夫人、
山内家合祀の墓がある。残念なことに手入れが行き届いていなくて荒れた状態で放置されている。
第一京浜沿いに鮫洲まで歩くと、海晏寺がある。大鮫の死体から出た聖観音木造を安置する堂宇を創建。この界隈を鮫洲と
言うようになった。再び旧東海道に戻ると品川宿に入る。ここより目黒川までが南品川宿である。道沿いに品川寺がある。
門前では江戸六地蔵の第一番に当たる大地蔵が迎えてくれる。弘法大師が大同年間(806-810)に開山したという由緒深い
お寺である。道を隔てて向かい側に幕府御用宿「釜屋」跡がある。土方歳三も休息したという記録もある。宿場には問屋場、
貫目改所が置かれていた。その跡地を示す立札がある。目黒川には江戸情緒を醸す飾りがしてある美しい品川橋がかかって
いる。橋から荏原神社が見える。神社の屋根より龍が2匹首を出して見下ろしている。目黒川沿いに河口に向かって下ると、
寄木神社に出る。漁師町の鎮守様でかっぱの狛犬がある。神社の奥扉に描かれた伊豆長八の鏝絵「天鈿女命功績図」がある。
たまたま神社の関係者が戻られて、社殿の中にまで入れてくれた。鏝絵を間近かに見ることができた。(ラッキー)
再び旧東海道に戻ると、品川宿本陣跡に出る。大名や旗本が宿泊したところである。明治維新後京都から江戸へ向かった明
治天皇も宿泊されたことで、現在は公園(聖蹟公園)として整備されている。近くに法禪寺がある。至徳元年(1384)開創の
古いお寺である。天保の大飢饉に餓死した人々を弔った流民叢塚碑がある。品海公園を通りすぎて台場小学校にいたる。
ここは御殿山下台場跡である。近くの利田神社には鯨塚がある。寛政10年(1798)品川沖に迷い込んだ鯨の供養碑である。
11代将軍家斉も上覧する大騒ぎになったそうである。旧東海道に戻ると、食売旅籠相模屋跡に出る。外壁が土蔵のような
海鼠壁であったことから、土蔵相模と呼ばれていた。高杉晋作や桂小五郎等多くの志士達が利用したという。
品川宿を南から北へ八ツ山橋まで、宿内の家々は1600軒、7000人という活気ある宿場町であった。
八ツ山橋に着いたのは4:30.江戸情緒を感じながら歩いた一日でした。

   (写真は寄木神社の鏝絵)